日本は山の多い国です。
「山のすばらしさ」というものに対して少し考えてみたいと思います。
信州に住んでいた頃に感じた事ですが、毎日のように標高の高い山を見て暮らしていました。
さまざまな表情を見せてくれる山、突然怒ったかのように荒れ狂ったりして天候が悪くなったりすることもありました。
けれども、そんな山を見ていると天気が予測できると地元の人は言います。
信州に住んでいる人は、少なからず山というものに対して色々と考えているように思いました。
自然には逆らえない
荒れた天候の時は、どうすることも出来ません。
特に、冬の日はどうすることも出来ず、ひたすら「じっとしている」方が得策だと思い知らされました。
電気がないとどうにもならない
電線に着雪現象が起きた時は、停電になりなかなか復旧しませんでした。
春先の水分の多い雪が電線や樹木に降り、そのあと凍ると離れなくなる為大変危険になります。
その重みで、枝が倒れ幹線道路を塞いでしまったり、電線の場合はなかなか復旧できなかったりします。
現代は、すべての電気製品が電気でコントロールされています。
暖房器具も例外ではなく、ファンヒーターなどのストーブも使えません。
古~いストーブをこの時の為に捨てずにいましたが、さすがにあたたまりません。
そんな中でも、復旧作業を行う方々には本当に頭が下がる思いでした。
必ずや良い天気になる!
そんな中で、いつも念じていた事は「この悪天候のあとには必ずや良い天気が訪れる、すばらしい青空が来る」という事でした。
そして荒天が去ったあとには、太陽が降り注ぎ山がくっきりと見えていました。
人間は、太陽の光を見ると元気になれますし、あの時の悲壮感がウソのようでした。
朝靄の中の雲海
それほど山登りが好きな訳ではなく、山や湖を眺めているのが好きでした。
クルマでいろいろ写真やビデオを撮ったりするのが好きで、雲海が下から上がってくる時なんかは、まさに「ショーがはじまる」感じがして、わくわくしていました。
自然の中で生かされている
凄まじい山の表情を前にすると、そこには神がかりな意味合いを感じることもあり、自然の中で生かされているのだなと感じました。
もちろん、山にまつわるものすべてに言える事ですが、昔の人は、山の恵みに感謝してきました。
生活の為だけに最小限の狩りをし魚をとり、山菜やきのこなどを採取してきました。
人間が出来る事
人間は、自然破壊だけをしているのだろうか?と時々疑問に思います。
もちろんそういう側面もありますが、すべてがそうだとは言えないと思います。
季節がめぐる中で、自然を感じて暮らしていける事はとてもすばらしい事でした。
そんなすばらしい環境だったからこそ、信州で頑張れたのかもしれません。